武蔵谷という地名

私が1994年に、現住所の神戸の「須磨ニュータウン」という所に、大阪の交野から引っ越しして来てからもうすぐ30年が経とうとしています。

そのニュータウンには、造成される前には「武蔵谷」という地名の所がありまして、ニュータウンが完成してからは「武蔵谷公園」という地名になっていますが、私は高校時代に通学路の一部として、そこを3年間もずっと通り抜けをしていました。

ここで、その「武蔵谷」の ” 武蔵 ” という地名についてなのですが、当時は漠然と「東京」の旧地名の「武蔵野」や「武蔵国」と何か関係があるのかな・・・などど考えていたのですが、後からインターネットで調べてみると(今となっては残念ながら、次に述べる貴重な情報がいくら検索しても見つかりませんが)、どうやらあの剣豪の宮本武蔵が、父親の新免無二とともに幼年時代から青年時代あたりに一時的に神戸の須磨に住んでいたらしい事が分かりました。

安土桃山時代の、当時の「武蔵谷」あたりはギリギリ播磨国の東端で、キリシタン大名でもあった黒田官兵衛(本名:黒田孝高)の出自である黒田家の領地であったようです。

この情報についてはとても不確かであるので、私の単なる「妄想」と思っていただいても一向に構いませんが(笑)、新免無二と宮本武蔵の父子が黒田家との関わりが深かったことは確かでして、ここで面白い連想ゲームを致しますと、クラシック音楽(西洋音楽)の世界においては作曲家の故・すぎやまこういち氏によるゲームの『ドラゴンクエスト』の音楽の評論をよくされていた、音楽評論家の故・黒田恭一氏が思い出され、また西洋絵画の世界においては須磨にかつて別邸のあった住友家と縁の深かった洋画家の黒田清輝が思い起こされます。

奇しくも、当ウェブサイトのテーマである ” 絵画と音楽 ” の結びが、黒田氏によってここに見事にもたらされました!!😲

こうして文章を、魂の赴くままに書き綴って行くと、私がなぜ今この神戸の須磨という地に住んでいるのか、朧げながらその意味と理由が解明されていきます。

ちなみに、宮本武蔵は明石の明石公園近くの本松寺に枯山水様式の庭園を造っており、そこに「亀石」という岩があることを、先日の関西ローカルのテレビ番組で初めて知りました!🐢

そして、本松寺には何とあのプロレスラーの故・ジャイアント馬場さんのお墓があることも、そのテレビ番組によって初めて知りました!🗿

「類は友を呼ぶ」・・・と言う、ことわざ通りなのかもしれませんね(笑)

残暑が続きますが、読者の皆さま方も過去の私みたいに油断して熱中症に罹らないように、どうぞ十二分に予防してお気を付けください。

私は「マルファン症候群」で痩せ身なので、とりわけ熱中症には注意深くあろうと思います!

なお、先日に私が住んでいる神戸の「須磨ニュータウン」が、ダイナマイト等を使って山を削って造成される場面のある、以下の約30分の「新日本紀行」と言う1969年のテレビ番組の映像を、YouTube で偶然に発見したので紹介いたします。

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