レンブラントの名画

レンブラント《放蕩息子の帰還》1668年頃

十数年前のことですが、私がインターネット上でロシアで芸術学博士号を取得された、とある日本人男性の映画監督(ここではNさんとします)との交流を持った時期がありまして、その時に初めてレンブラントの名画《放蕩息子の帰還》のことを知りました。🖼️

サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館に所蔵されており、Wikipedia では「レンブラントの中でも特に有名な絵画の1つで、美術史家ケネス・クラークは「サンクトペテルブルクでオリジナルを見た人は、美術史上最も素晴らしい絵画であると主張することが許されるかもしれない」と説明している」と記述されています。

なぜ、この名画が先日に私の脳裏にふと浮かんで来たのだろう、と疑問に思いましたが・・・画面左下の父親の2人息子のうち次男とされる人物は、ちょうど我が家に当てはめると、長年引きこもりで殆ど働きもせず、アイドルのDVDや雑誌などをみて社会の厳しさに晒されることもなく、兄の私と比べて悠々自適に楽に過ごしてきた、私の弟のことを指しているのでしょうか。

画面右側の人物は、長男であり腕を組んでいるのは「なぜ父は弟ばかりを優遇するのか」とその依怙贔屓と思われる行動について、怒っていることを示しています。

多分、絵の中の父親は、2人の息子のうち自分よりも能力の高いように見える長男に対して嫉妬し、それで長男よりも能力の低いように見える次男を過剰に優遇するのだ、と解釈する人は少なくないでしょう。

そして、画面左上の、ほとんど闇の奥に隠れていてその姿が見えづらい女性が、父親の奥さんである母親です。👩

本当に、目を凝らして見なければ分からないぐらい、闇に包まれています(笑)

これは、ゲームの「ドラゴンクエスト5」のストーリーに喩えたら、主人公の父親のパパスの妻である、魔界で大魔王の力(お金という名のエネルギー?)を借りてモンスターを改心させる活動をする、マーサさんですね!🤱

日本史では、室町時代後期の日野富子に喩えられます(実際、私の母方の家系は公家の日野家の宗本家です)。

レンブラントの絵画の左上隅に、まるで幽霊のように見えづらくひっそりと立っている母親は、あの安倍公房の『砂の女』という文学作品を想起させてくれます。⌛️👩

もしかしたら、今日に冒頭のレンブラントの名画を紹介することになったのは、我が家の過去世から続く家庭内不和という事情の分かりやすい視覚的な説明とともに、「芸術」と「宗教」とはつながっていて切り離せないものである、ということを、私が読者の皆さんに伝えるためなのかも知れない、と感じました。

絵画作品は、このように情操教育としての「美的教育」=「美育(びいく)」には、欠かせない媒体の1つであります。

レンブラントの《放蕩息子の帰還》に内在している大きなテーマは、キリスト教の『聖書』においてもよく語られる「赦し」であるようです。

なお、以下のフェルメールの《真珠の耳飾りの少女》は、ターバンの青紫色から「ドラクエ5」の主人公を彷彿とさせるとともに、私の数ある過去世のうちの1人かも知れない第27代・安閑天皇(勾大兄)の、部下に千葉の勝浦の真珠をわざわざ入手するように求めた、という中性的な「パール男子」ぶりの逸話を、ものの見事に思い出させてくれます。

フェルメール《真珠の耳飾りの少女》1665年?

真珠は、人造バターであるマーガリンの語源で、ギリシャ語のマーガライトの意味でもあり、安閑天皇の本名の「勾(まがり)」とも、発音のシンクロニシティで摩訶不思議に通じてきます。

今日もここまでお読み頂き、本当にありがとうございます!🙏

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