交差する串団子の物語

分かりそうでいて、なかなか分からない事の1つに、前世や過去世(複数の前世)が挙げられます。🍡

それでも、日本の室町時代の第9代・足利義尚(あしかが・よしひさ)という将軍は、もしかしたら私の過去世の1つなのでは、と今でも感じています。

Wikipedia の「足利義尚」の、逸話の項目には以下のように書かれています。

「絵画や書にも通じており、「後土御門天皇が義尚に絵画を提出するようご所望された」という記録が『御湯殿上日記』に残されている」♨️

当時の「公家日記」に書かれているのだから、これは歴史的事実として間違いないでしょう。

私が今世で画家をやっているのも、きっと過去世からのご縁なのだろうなぁ〜、と思います。🧑‍🎨

だからこそ、今生のご縁はできる限り大切にしなければ・・・!🤝

それにしても、あの鬼才・三島由紀夫がまさか短編小説の「中世」で、足利義尚とその父親の義政について、絢爛豪華たる文章で書き綴ってくれているとは、私がその作品を初めて読むことになる40代前半まで、全く考えてもみませんでした!

三島は、義尚を自身に重ねて作品を書いたらしく、正直に言ってどちらへか、と言いたいほど有り難く、また泣けるほどとても嬉しく思っています!🥹

「いやいや、三島さん。滅相もない!貴方のほうが、よっぽど武士または忍者あるいは侍として格上ですよ!(我々日本人のために殉職されたのは実に残念ですが)」と、私は心の奥底から言いたいです。🥷

これから書くことは、ネタバレになってしまうので、三島由紀夫の「中世」を既読の方か、未読であってもどうしても読みたい読者の方だけ、お読みください。


『中世』の最後の「大団円」で、鄭阿(ていあ)という「不死の薬」を求める老医が、大阪の堺の湊を再び訪れ、船で中国の福建省へ帰る場面があります。🚢

これを読んで、私には鄭阿と「徐福(ジョフク)」が二重写しのように重なって見え、更には、なぜ大阪の堺の湊なのだろう、という感想も持ちました。⚓️

以前に私がブログ記事に書いた、大阪の堺の「仁徳天皇陵」のことを思い出します。

仁徳天皇陵か大山陵古墳か?はっきりしない名称のナゾ」(ノジュール)

日本最大の古墳のナゾは、なかなか解けませんが、、、中国の福建省と言えば、ウーロン茶ですね。☕️

私はウーロン茶が好きで、たまにコンビニやスーパーや自販機で買って飲みます。

串団子とウーロン茶のマリアージュというのも、意外とよく合いそうですね!🍡☕️

最後は食べ物の話になってしまいましたが。。。ここまでお読み頂き、ありがとうございます!😊

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