昨夜は、オリジナル曲の「海の見える丘」の、イントロにおける主旋律のパートをヴァイオリンで弾いていました。🎻
作曲者として、これまで GarageBand や Finale などの作曲ソフトウェアの音源を使用してパソコンなどでデジタル演奏させることはありましたが、アナログ楽器のヴァイオリンではこの曲は初めて弾きます。
「海の見える丘」の、イントロの主旋律をヴァイオリンで弾いてみた結果は・・・思ったよりも弾きやすい、しかもファースト・ポジションだけで弾ける、という嬉しいものでした!☺️
次の動画制作に、この曲を選んだのは、一昨日に仕上げた風景画が、ちょうど「海の見える丘」のような絵だったからです。
ところで、最近は私の家の部屋のベランダに、鳥がしょっちゅう来ます。🐦
それも、朝から昼まで、毎日鳥の鳴き声やパタパタ羽の音がしています!🪽
しかも、昨日は朝から昼にかけて、窓の網戸にヤモリがへばり付いていました。🦎
とうとう、私は鳥と波長が合うようになったのか、と喜んでいます!😊
また、先日には珍しく大手銀行さんから私宛てに、西宮のこれから建設される(2027年7月30日竣工予定)タワーマンションの入居者募集のパンフレットが入った、ダイレクトメールが届きました。✉️
そこに書かれていた言葉は、「終わりは、新たな始まり」というメッセージです。
私がこれまで考えていた、将来の我が家の移住先の複数の候補地は、大体が交通の便の良い神戸の海側であり、西宮は現住所からは遠く感じて候補には入っていなかったのですが、、、
あそこは、確かに「兵庫県立芸術文化センター」があり、また六甲山を御神体とした瀬織津姫を祀る「廣田神社」や、甲山が見える桜並木が美しい「夙川公園」、そして「宝塚歌劇場」や「阪神競馬場」、尼崎や大阪梅田からも近いので、現住所の須磨ニュータウンの駅前から遠くの閑静な住宅街とは違って、全然退屈しない賑やかで文化の薫る大都会と言える場所であるように思います。
もっとも、須磨ニュータウンの中心地である名谷駅前も、西宮ほどの規模ではないにしてもリノベーションされて西宮に近いようなハイセンスで魅力的な、賑わいのある駅ビルやショッピングセンターに様変わりしたので、引っ越し先はその名谷駅前のどこかのマンションなどでも良いかな、とも思っています。
あるいは、新神戸の「神戸芸術センター」があるタワーマンションとか・・・
先日は、私が少年時代に体験したバブル黄金期の日本社会にいるような、良いタイムラインに入ったカラーの夢を見ました。
そこでは、ヨーロッパの社交場のようにハイセンスでカラフルな美しい絹のように光る衣装を皆が着て、日常や非日常の生活を楽しんでいました。
今、開催されている「2025大阪関西万博」では、イギリス館において紅茶が紙コップで提供されていることを日本人来訪者が不満に思い、そのことに対するクレームがネット上で多くあったので、イギリス館の主催者の方が伝統的な陶器に淹れての提供に変えることにした、とニュースにありました。☕️
このように、相手国に対する非難・批判的な内容のコメントであっても、その発信者の書いた文章の内容の裏に、つまり行間に相手国の伝統文化への敬意そして愛がちゃんと見られるのであれば、そのクレームは誹謗中傷には当たらず、こうした建設的意見を相手国もまた素直に受け入れて改善してくれるのだなぁ〜、と言語生活が貧しく文学にこれまで疎かった私にとっては、大いに学びとなりました!🤓
やはり、個人的に「文学」を読んで語彙力を高めたり読解力を上げたりすることは、争いひいては戦争を起こさずに世界の平和を維持するためにも、大切なことだと思います。🕊️
大学時代に、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を「大審問官」の部分だけ、倫理学の講義でレポートを書くために読みましたが、私はうっかりミスで課題の小論文を担当講師に提出し忘れ、成績表に「未提出」の印が書かれたまま大学を卒業してしまいました(笑)
その、まだ読破していない世界最高峰の小説と言われる『カラマーゾフの兄弟』を今度こそ読破することに、私は再びチャレンジしています。📗
『カラ兄』を読んでいない人とは、会うことも話もしたくない、という年配の方もおられる位ですから、これは急いで読まなければ、とついつい焦りの気持ちが入りますが、、、🐰
科学者のアインシュタインによると、時間とは速度によって伸び縮みするものなので、始めは亀のようにゆったりと構えてマイペースで読んだ方が、かえって仕舞いにはウサギのように早く読了することができるのかも知れません。🐢→🐇
蝶に喩えると、私の ” こころの発達段階 ” で私が今いるところは、幼虫から繭(まゆ)となり蝶になる過程の、真ん中の「繭」の段階に当たります。🐛→🥚→🦋
「繭」の期間を終えると、初めて ” 美しい蝶 ” となってひらひらと自由に羽ばたくことが出来ます。
それまでは、私がXなどのSNSで他者とのコミュニケーションを取ることは、ほとんどないでしょう。🫢
45歳にもなって、これではもう手遅れなのでは、とも感じられますが、何かを始めることに年齢など関係なく、遅すぎることはないという ” 一般論 ” を私も信じて、これから室町時代後期の「足利義尚」の過去世から今世にかけての積年の魂の宿題である、人間の「心理」の勉強という「自分磨き」に文学を読むことで取り組もうと思っています!💎✨
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