最近は、古代日本史の「饒速日(ニギハヤヒ)」についての、大阪の交野が出身地である私でさえも知らなかった情報を知ることがあり、これは何かの神様からのメッセージをお伝えする為のシンクロニシティだと感じて、読者の皆様にもまたシェアしようと思い、予定外で連続の投稿をしています。
先ず、饒速日の妻が「瀬織津姫(セオリツヒメ)」であるということは、以前から本などで見聞きしていましたが、饒速日が男神で天照大神に、その奥さんが女神で瀬織津姫にそれぞれ対応していると、以下の「古代ずんだミステリー」さんの動画で改めて再認識しました。
私は、兵庫県たつの市にあるという「井関三神社(いせきさんじんじゃ)」の存在は、今日はじめて知りました!⛩️
饒速日と瀬織津姫の他に、「建御名方(諏訪明神)」も祀られていますね。
動画の最後の方で、女帝の持統天皇と藤原不比等が出て来て、古代日本史の ” 隠蔽工作 ” に関わったと解説されています。
ちなみに、持統天皇の諱(いみな)は「鸕野讃良(うののさらら)」で、私がかつて小学校高学年の時に約3年ほど住んでいた大阪の寝屋川から、四條畷(しじょうなわて)にかけて古代にあった「讃良郡(さららぐん)」が出身地のようです。
私は小学校3年生から5年生にかけて、寝屋川市の打上地区にある「打上神社(高良神社)」の奥の院である、交野が原の「天空の地上絵」でいうところの「アルタイル(Altair)」に位置する ” 8角形の古墳 ” のすぐ近くにあるマンションから、「梅が丘小学校」まで讃良川に架る橋を渡って通っていました。
当時の「讃良郡」の中心地は、おそらくは太秦(うずまさ)や三井ヶ丘のある辺りだったと考えられますが、「持統天皇(鸕野讃良)」の出身地は今の大阪府四條畷市で、古代の河内国の更荒郡鸕野邑(さららのこおりうののさと)と言われた所です。
多分、JR忍ヶ丘(しのぶがおか)駅のある岡山地区あたりだと考えられますが、そこは古代には讃良寺があったそうです。
詳しくは、四條畷市のウェブサイトなどで各自で調べてみてください。
追記:「岡山」と「鸕野(うの)」という地名が気になります。岡山県玉野市にも「宇野」という地名があるからです。
ちなみに、私の父方の祖先の1人である、武家の大石氏の ” 中興の祖 ” と言われる「大石信重(おおいし・のぶしげ)」の母親は「宇野氏の娘」と書かれており、つまり私と宇野氏とは、DNAでつながりのある遠い親戚です。
もしかしたら、岡山の宇野から大阪の四條畷の同じ岡山という地名の讃良郡鸕野(うの)村まで、古代の皇族が東へと移住して来たのかも知れませんね!
なお、以下は手のひらの手相に「M字」があることの意味について、プレアデス人の方が動画で解説してくださっています。(動画時間:約1時間)
「M字」とは、 ” マグダラの系譜 ” のことを意味するらしいのですが、聖書に登場する「マグダラのマリア」と、何か関係があるのかも知れません。👸
私にも、手のひらに「M字」がありました!🖐️Ⓜ️
そして、「Magari Ohishi」のファースト・ネームの頭文字も、また「M」です!😲
更に、今日は5月1日だから英語では「May(メイ)」ですね。この単語の頭文字にも「M」があります。何という偶然!!
一昔前に、私は近所のキリスト教カトリック教会に通っていた時期がありましたので、特に女性の信者の方々には「マリア信仰」があることを体験的に知っています。⛪️
マリアとは、聖母マリアか、それともマグダラのマリアなのか・・・・私はキリスト教に関しては実に中途半端な知識しか持っていないのでどちらかよく分かりませんが、、、多分、聖母マリアなのでしょう。🤱
これが、先述した桃太郎の伝説で有名な「岡山」や、「宇野または鸕野」という2つのキーワードと、何か繋がりがあるような感じがしています。🍑
以下は、まるで「マリア観音」のように感じられる、日本画家の狩野芳崖による絵画作品の「慈母観音」です。(Wikipedia より拝借)

今日もここまでお読み頂き、ありがとうございます!🙏
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