私は、オリジナル曲のアルバムとして「春日の道(はるひのみち)」を、主に国内の音楽配信サイトにリリースしています。💿
「春日」は ” かすが ” とも読みますが、私の過去世の1人と思しき6世紀前半の「第27代・安閑天皇(勾大兄)」の、正室としてのお妃さまが「春日山田皇女(山田赤見皇女)」でしたが、この皇后は「春日氏」の出自です。🌸
「春日氏」は、もともとは「和珥(わに)氏」であり、これは学校では教わらない話なのですが、古代の日本には富士山のあたりに「富士王朝」というものがあって、当時の天皇家に皇女を輩出した春日氏や和珥氏は、そのルーツとしては「富士王朝」から来ているそうです。🗻
古史古伝の中に、『宮下文書』という古文書があって、私はまだその内容については過去にその要約本を読んだだけで、すべてを読んだ訳ではないので詳細はよく知りませんが、、、
とにかく、あの秦の始皇帝が遣わした「徐福(じょふく)」と関わりが深い場所だということを、印象としておぼろげながら記憶しています。
Wikipedia の「徐福」の項目を読むと、今でも「徐福来日説」がまるでフェイクニュースであるかのように取り扱われていますが(笑)、私は「徐福」が日本にやって来たという説の方が確からしいように感じます。
というのも、私の母方の祖先つまり室町時代に「日野富子」を輩出した公家の日野家を遡ると、藤原不比等を経由して「天叢雲(あまのむらくも)」そして「徐福」まで辿り着いてしまうのです。
ところで、聖徳太子のブレーンだったあの「秦河勝」が誕生する直前には、当時の欽明天皇が夢の中で「秦の始皇帝の生まれ変わりが秦河勝である」という主旨のお告げを受けました。
それが本当のことだと仮定すると、もし安閑天皇に「豊彦王」という息子がいて、その豊彦王がすなわち「秦河勝」だという説が真であるとするならば、ヤマトタケル(日本武尊)や継体天皇・安閑天皇・秦河勝などは、徐福や秦の始皇帝をルーツとする系統の皇族であり、そして秦の始皇帝の父親は「呂不韋(ロフイ)」となります。
「呂不韋」は宝石商人だったようで、「呂氏」の人でした。「呂氏」とは、古くから金融業・銀行業を営んできたロスチャイルド家の祖先でもあるみたいです。💎✨
『世界の王族はすべて「1つの天皇家」である』(ヒカルランド)
私は、最近に読んだ上記のリンク先にある落合莞爾氏の鼎談本でこのことを初めて知り、同時に母方の家系である、公家の日野家の出自である「日野富子」がその「呂氏」の特長をよく示していることに改めて気がつき、私自身もまた母親の方に遺伝的によく似ていることから、それで大学時代に商学系の学問である「経営学部」において簿記・会計学や専門的な「経済学」を勉強したんだ、とその必然的なシンクロニシティに感嘆しました!😲
まぁ、それでも我が家の場合はもともとは天皇家と藤原氏でありましたが、父方は平安時代に ” 臣籍降下 ” していますし、母方は室町時代の「応仁の乱」によって ” 都落ち ” していますので、純粋な王族や貴族では決してなく、競馬のサラブレッドに喩えると純血種には当たらない雑種のようなものだ、とはっきりと自覚しております。。😅
日本人では、我が家などよりももっと優秀な「人財」がたくさんおられるように、私には感じられます。
何はともあれ、私は私で「障がい者アーティスト」として、引き続き本業の絵画や副業の音楽の仕事に、これからもいっそう邁進して参ります!
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