広島旅行の思い出

私は小学校6年生の時に、修学旅行の行き先が広島でした。🍁

当時の学年を代表して、広島平和記念公園の「原爆の子の像」を前にして、慰霊のための自分で作成した祈祷文を読み上げたことがあります。

佐々木禎子さんが、その「原爆の子」なのですが、2025年8月5日付の読売新聞には、白血病により12歳で亡くなるまで約1600羽の折り鶴を折った、という事が書かれていました。

最期はお茶漬けを口に含み、「おいしかった。みんなありがとう」との言葉を残して亡くなったそうです。

私の大学時代においても、当時の関西国際大学に併設されていた関西女学院短期大学の学生1名が、在学中に病気か何かで亡くなられたことがありました。

「人はいつ亡くなるか分からない。だからこそ、私を支えてくださっている周囲の人たちに感謝して、1日1日を大切に生きなければ・・・!」

原爆の被曝者についての記事を読むたびに、私はいま生かされていることの有り難さを噛み締め、このように思います。

また、被害者と加害者という言葉についても深く考えさせられます。

少なくとも、私の過去世の1人は身近に起こる数々のシンクロニシティから推測するとおそらくは「宮本武蔵」だったようで、その伝記からして明らかに加害者でした。

また、もう1人の私の過去世と思しき「安閑天皇」には暗殺説があり、こちらにおいては被害者となりますが、今世まで繰り返し生まれ変わる過程でどちらの立場も経験しています。

なので、私はこうした ” 業の深さ ” という罪悪感に苛まれることなく、これからも社会への「貢献者」として、障がい者アーティストとして献身的に働こうと思っています。

以下は、小学校6年生の時にクラスメートと共に合唱で歌った覚えがある、梅原司平氏の作曲による「折り鶴」の、YouTube 動画です。

追伸:すっかり忘れていましたが、私自身もまた2011年3月11日の「東日本大震災」の3ヶ月後ぐらいに、自販機でたまたま福島工場製の野菜ジュースを買って、すべて飲み干してしまって被曝していますので、私の場合は軽度とはいえ禎子さんと同じ被曝者でした。。

でもまぁ、「因果律」というのはタイムラグ(時間差)を伴って必ずブーメランのように正確に返ってきますから、私自身にも何かそれ以前に(前世ないし過去世も含めて)他人様にご迷惑をたくさんお掛けしたという非があったのだ、だからその報いは今世に「障がい者アーティスト」であることも含めてこうして受けて当然だ、と今では ” 悟り ” を開いて「達観」するようにしています。🪃

もちろん、私の今後の行い次第で、固く定まっているように感じる未来の宿命も、慈愛溢れる ” 神の恩寵 ” により、善い方向に変えられるかも知れないとも思っています。

今日もここまでお読み頂き、本当にありがとうございます!🙏

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