「九州王朝説」について

古代日本史では、昔から「九州王朝説」がありますが、顕宗天皇と仁賢天皇というヲケ・オケ兄弟や、オオドと言われた継体天皇そしてその息子の安閑天皇(勾大兄)と宣化天皇の兄弟、または仁賢天皇の娘で安閑天皇のお妃さんのうち正妻であった春日山田皇女などは、「熊曾於族(くまそおぞく)」と呼ばれていたらしいです。

以下、「うっちゃん先生の古代史はおもろいで」のブログ記事から引用させて頂きます。

「熊曾於族を構成していた主な氏族には、曾部(園部)、園(曾於の)、阿蘇・麻生(=アは感嘆詞)、日下部(草部)、内(宇治,、有智、宇智)、鴨(加茂,賀茂)、大田(太田)、葛木(葛城、桂木)、曽我(蘇我)、さらに袁、牛(にゅう)、三嶋氏らがいたと思われる。今は園とか内など一字姓の上下には上、下、中、田とか村、海、川などがくっついて二字姓になっているケースも多い」

参考記事:「継体天皇」は鏡作り工人袁氏の子孫? その1 都の遺構はすでに出土(うっちゃん先生の古代史はおもろいで)

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