息長氏のルーツは大阪?!

昨夜は、近江の「余呉湖」について探究していましたが、今朝は「安閑天皇(勾大兄)」の父親の「継体天皇(男大迹王;おおどのおう)」が近江を本拠地とするとされる「息長氏」の出自であることについて、深堀り研究をしていました。

すると、「息長氏」のルーツは実は大阪にある、という新説に出くわしました。!

具体的には、「大阪府大阪市平野区喜連」という所が、「息長氏」の本貫地なのだそうです。そこは、古代では「大々杼国(おおどのくに)」と呼ばれていたらしいです。

息長氏のルーツは大阪にあり?(古代史好きな28歳サラリーマンのブログ)

上記リンク先のブログを拝読すると、『大阪府全志』の中の『北村某の家記』という文献を根拠とされているようで、そこに書かれている息長氏系図のうち「黒城」と「黒姫」という名前は、何となく江戸時代の人が考え付きそうな名前ですが、現代と同じように当時もまた古代に生きた一部の人たちの名前が分からなかったから、「某」と同じような意味で「黒」としたのだろうと推測します。

ここの所に気が付かなければ、それを単なる創作の「偽書」としてスルーしてしまうところでしたが、私は『真清探當證(ますみたんとうしょう)』でも同じような読書経験をしているので、「人と同じように、本も見かけによらず」という訳で、理性のみならず直観も大切にしようと思います。

さて、その文献によれば息長氏の太祖は「ヤマトタケル(日本武尊)」の息子である「息長田別命(おきながたわけのみこと)」らしく、この人は古代に「大々杼国」であった大阪狭山市にある「狭山池」の水を引いて田の地を広げ、また人工の川を掘ってその水を淀川に注いだそうです。

私の弟は、数年前から Twitter/X で大阪狭山市のゆるキャラの「さやぽん」とたまにコミュニケーションを取っていますが・・・つまり、それは我が家の家系(あるいは過去世)と縁が深いというシンクロニシティとしての意味があったんですね!

同じく大阪の羽曳野市にある、「安閑天皇陵」と「日本武尊白鳥陵」の2つの古墳が至近距離にあるのも、これで理由がよく分かりました。やっぱり同じ家系だったんですね!

私の父親は、今でも神戸にある「息長氏」が出自の神功皇后が創建した長田神社のお守りを持っていますし、私の住む須磨ニュータウンの境目にも、神功皇后が腰掛けたと言われる「夫婦岩」があり、一昔前にそこの岩の1つにあった「盃状穴(はいじょうけつ)」に日本酒を捧げて、後日にまた訪れてみたら、夫婦岩のそばにあった「男岩」と「女岩」の立て札が入れ替わっていた、という摩訶不思議な体験をしました!

息長氏のなかで最も代表的な存在と言えば、やはり女性リーダーであられた神功皇后だと思われますので、神功皇后には子孫・末裔の1人としていま生かされていることに深謝しようと思います。🙏


追伸:こうして神功皇后のことを書いていたら、その人についておそらく何も知らないはずの母親が、何と「かまぼこ」を買ってきてくれていました!

「かまぼこ」の発祥地は、言い伝えによれば神戸の生田神社らしく、神功皇后が鉾の先にすりつぶした魚肉を塗って焼いて食べたことから来ているそうです。🐟

このシンクロニシティは、本当に我が家の過去世にまつわる神功皇后さまが引き起こしてくださったのかも知れず、今夜の「かまぼこ」はご先祖さまに感謝しながらありがたく頂こうと思っています!🙏

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