今日は長文なので、お時間のある方だけぜひお読みください。
私はこれまで、何度も繰り返し書いていますが生まれつき「マルファン症候群」のようです。
つまり、今の私は画家のゴッホのような精神障碍者というよりは、むしろヴァイオリニストのパガニーニや作曲家のラフマニノフ、あるいは初期のアメリカ大統領のリンカーンみたいな、先天的に「マルファン症候群」という難病を抱え持つ身体障碍者だと思います。
「マルファン症候群」の私は痩せ型で、とりわけ40代以降は男性の更年期障害で徐々に身体が老化していくがゆえに、冬の寒さや夏の暑さに弱くなります。体温調節が効かなくなってくるのです。
もし、自分と弟の2人だけで現住所で暮らしていたとしたら、どちらも現状が「買い物難民」であるので、すぐに餓死していると考えられます。😇
今のところ、そうならずに済んでいるのは70代の高齢の両親が昔から体格ががっしりしてとても体が丈夫な健常者で、夏期や冬期に最寄りのバス停が自宅から多少遠くても暑さや寒さに割と平気であり、すなわち「買い物難民」ではないからです。
したがって、現在40代半ばの私と30代後半の引きこもりの弟は、70代前半の高齢の両親に、日常の買い物や通院などといった生活面では、客観的に見てとても依存していると言えます(夏期と冬期は母親が私の代理人として、神経内科へ通院しています)。
これを、世間では「80-50」問題の予備軍、と言っているそうです。
もしかしたら我が家は、アフリカや中東のガザの難民と同じように「人道支援」を必要とする状態にあるのではないか、と時々思うことがあります。
実は、私が健常者とみなされていた昔の学校時代に、「どうやって人を助けたら良いか」については、例えば高校1年生の時に視覚障がい者や身体障がい者の介護を車椅子や白い杖などを使ってするやり方などについて教わりました。👩🦽
当時のクラスから、男子と女子が1人ずつ障がい者福祉関係のボランティア委員会の役員として選ばれるのですが、私がその男子代表として選ばれまして、つまり今の私の障がい者として助けられる立場とは違って、むしろ障がい者の介護などについて女子代表の人と共に当時のクラスの皆に教えて指導する立場の側にあった訳です(笑)
ともかく、このように学校時代においては「人をどうやって助けるか」についてはよく教わりましたが、ふと立ち止まってよく考えてみると、「人からどうやって助けられるか」については、少なくとも私はあまりと言いますか、実はほとんど教わっていないのではないか、と今更ながらに感じています。
他人から助けられるためには、これは私のこれまでの様々な経験から導き出した答えなのですが、” 変なプライド ” は無くした方が善いということです。
私は、数年前のとある猛暑日のときに、自宅から母親とともに歩いて30分も掛かる駅前の神経内科まで行く途中で、当時は「マルファン症候群」のことを知らずに自分がそれに当てはまると自覚していなかった私は、暑さに耐えられずに途中の歩道橋の下にある椅子の日陰の所に座って、鞄の中に入っていたペットボトルの水を飲みながら休むことにしました。
母親は健常者であり小太りの体つきなので、「あと半分の距離やから、頑張って歩いて行こうや!」と歩く気が満々でしたが、「マルファン症候群」で痩せ型の私はすでに熱中症の初期症状が出ていて「生きるか死ぬか」の瀬戸際の状態でした。。🥵
それで、私は人の助けを求めようと「近くを歩いている人に事情を話して、その人の家の中に入らせてもらおう」というアイデアを話しましたが、母親は「そこまでしなくてもいい」と私を制止しようとしましたから、私よりも母親の方がプライドが高いのだなぁ〜、とその時に判ってしまいました(苦笑)。
人間というのは、極限状態になった時に、その人の本性といいますか本質が、嫌でも出てくるものですね。。😅
私と母親が休憩していた所では、” 不幸中の幸い ” にも幾らか人の往来がありましたので、私はすかさずスマホを持っていそうな散歩中の高齢のお爺さんに「熱中症で倒れそうなので助けてください!」と助けを求めたら、運良くスマホを持っておられてタクシーをすぐに呼んでくださったので、私と母親はそのタクシーのお陰様で親子共々に死ぬことを免れ、文字通り「九死に一生」を得ました。。
あの時の、タクシーを呼んでくれた命の恩人であるお爺さんには「ありがとうございます!」とちゃんと御礼を言いましたが、今でもそのことについて大変深謝しています。🙏
上記の体験から、” 魂の尊厳 ” という意味での「自尊心」を持つのは善いけれども、格好悪いから、恥ずかしいからと危機的状況のときに他者から助けを求めようとしないという変な「プライド」は、場合によっては ” 命取り ” になるということを、教訓として得ました。
我が家にとって、今もまたそのような非常時の状況にあるかどうかは、あの猛暑の夏の時ほどの切迫感はないので、そこまでの危機的な事態には陥っていないと言えますが・・・🤔
仮に、現住所にこれからも何年も住むとなると、年を経る毎に我が家の4人家族のメンバーの死亡リスクが高まることは、客観的に考えて否定することができません。
それなので、近い将来に神戸の海側に引っ越しするかもしれませんが、津波リスクが無いとは言えません。🌊
しかし、標高約140メートルのニュータウンの現住所は、津波リスクは確かにありませんが、まるで「陸の孤島」のように感じられる場所に、いつまでも住んでいられないこともまた確かです。
そもそも、リスクの無い選択肢など無く、リスクを天秤にかけたら今の住所にずっと居続ける方が危ない(笑)⚖️
今月の6月中旬には、近所の「マナベインテリアハーツ」という家具屋さんも閉店しますし、同じ須磨ニュータウン内でも名谷駅前の中心部と周縁部の明暗のコントラストが、ますますハッキリとしてきたな〜、と感じます。
まるで、村上春樹氏の『街とその不確かな壁』の小説の内容みたいになってきていますが、、、それでも、私は常に希望はあると、とても楽天的に考えています。😊
これまでも、私は幾度も危機的な状況に陥っては、その度に奇跡的に助かっているのだから、これからもまたそうなるだろう、とポジティブな予想をしています。
そうなるには、やはり日常の生活において私心なくチームワークに貢献するために、人として当たり前のことではありますが、障がい者アーティストとして仕事など ” 義務を果たす ” 、これに尽きると今では達観しています。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます!🙇🏻♂️
追記(2025年6月10日):私や弟が生まれつき「障がい者」である要因は、たぶん父方が元々は天皇家で、母方が元々は藤原氏なので、それぞれ祖先が「王族・貴族」という訳で父と母が血統的にお互いにかなり近く、それで「障がい者」が生まれやすいのだと考えられます。
近現代の天皇家のように、お互いの血統がある程度遠ければ、それだけ「障がい者」が生まれる可能性は低くなるようです。
例えば、ヨーロッパのハプスブルク家の王族の人たちもまた、その肖像画では実際よりも美しく描かれていて伏せられていますが、古代の日本の天皇家のように王族同士の ” 近親婚 ” だったので、かなり「障がい者」が生まれやすかったみたいです。
相対的に、王族・貴族が人口の約40%くらい(その多くは東京や大阪など大都市に住んでいると思われます)と言われている日本人の場合は、ウチと似たような家庭がたくさんあると考えられますので、他の方々で私のようなハンディキャップを背負った立場の方々は、意外と少なくないかも知れませんね。
「精神障がい者」というだけで、病名が1人歩きしてネガティブな印象を持たれ、少なくない健常者の人たちから差別されて、避けられ疎外されがちではあります。
が、数学的に中学1年生で習う「数直線」で考えると、私は原点のゼロよりも左側のマイナスの世界に現在いる訳なのですが、「51%のポジティブ」という考え方を持つと、常に螺旋を描きつつも右側(Right;Light)である光の方向に正しく向かって進んで行くので、たとえ私が現在に「徳」に関する莫大な借金を背負っていたとしても、「いまこの瞬間」に魂の姿勢を正しくさえしていれば、そして忍耐強くこれを継続すれば、 ” これでいいのだ ” と心の底から思える日が来ると予想されます。
つまり、「真のポジティブ」とは、ネガティブを100%否定しない陰陽を抱き合わせた寛容なポジティブであり、視覚的に観れば道教の「太極図」そのものだと感じられます。☯️
ここで、「51%のポジティブ」=「真のポジティブ」という等式が得られました。
私の第1の故郷である大阪の交野には、古代日本のスーパースターであられた、佐伯(サエキ)氏の血統である空海さまが修行された場所の「獅子窟寺」や、龍神に ” マントラ(真言)” を唱えて頼んで、日照りが続いて旱魃で困っていた村人たちを雨乞いの奇跡を起こされて救ったエピソードが伝えられている「八葉蓮華寺」があります。🐉☔️
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