現在、本業の障がい者アーティストの仕事における、ラフスケッチを描いています。🧑🎨
仕事の合間に、私が少年時代に徳島の吉野川市川島町という所で、母方の亡き祖父と共に吉野川の風景スケッチを描いたことをふと思い出したので、それについて書こうと思います。
徳島県の吉野川市川島町というのは、これは学校の日本史では教わらない話ですが、「日本武尊(ヤマトタケル)」の出身地と言われています。
出生地については、通説の通り兵庫県加古川市です。
冒頭に述べました、私の小学校時代の夏休みの宿題だった、川島町の川島城跡から祖父と共に描いた吉野川の風景のスケッチ画は、以下の本に掲載されていた当地の写真とそっくりでした。
香川宜子著『ユダヤアークの秘密の蓋を開いて 日本から《あわストーリー》が始まります』(ヒカルランド)
著書によれば、ヤマトタケルは川島城あたりから東征を開始したと書かれています。🏯
私の出生地は、徳島県吉野川市鴨島町なのですが、西隣が吉野川市川島町で、東隣が名西(みょうざい)郡石井町です。
東隣の石井町に、ヤマトタケルが祀られている白鳥神社の元宮があります。⛩️
そして、大阪の羽曳野には「日本武尊白鳥陵」がありますが、そのすぐ近くに安閑天皇(勾大兄)の古墳があります。
実は、このブログ記事を書く少し前に、ラフスケッチの鉛筆画のケント紙上に、画面の左側に鴨を、右側にアヒルを描いていたのですが、、、🦆
なるほど、ひょっとしたらこれは霊界におられる私のご先祖様からの、何らかのメッセージかも知れませんね!
ヤマトタケルの生まれ変わりが、安閑天皇ということなのでしょうか・・・?
少なくとも、安閑天皇とヤマトタケルは神功皇后とか息長氏または尾張氏のことなどを考えると、天皇家としては家系的に近いのでしょう。
画面の上部にはカモメを描いていますが、これは地理的な位置関係からして、今世の神戸に住む私のことを暗示しているのかな?🐦
そのラフスケッチ画は、仕事上の規約がありますのでここには掲載できませんが、大抵の場合、私は絵を描き終えた後からそれに含まれる意味について、おそらくは守護霊(守護天使)さまからインスピレーションとして知らされます。
今回は、今までの経験では私が自分の描いた絵に込められた意味に気がつくまでに、最速でした(笑)
アヒルが白鳥の代わりになっていたのが、ちょっと面白かったですね。。🤭
私の過去世の1人は、もしかしたら「ヤマトタケル」なのかな?
” 蛮勇型 ” なのが、安閑天皇や足利義尚や宮本武蔵、そして今世の私とよく似ていますし、またヤマトタケルの東征物語においては伊吹山の神様から「大氷雨」という致命的な天罰を受けたところなども、私とそっくりです。☔️
実は今世の私もまた、一昔前に神戸市にある高取山の神様(おそらくは龍神さま)から天罰を受けています。🐲⚡️
日頃の行いの悪さからか、そこの山麓の北側の坂道を歩いている時ににわかに土砂降りの大雨となり(苦笑)、近くに蕎麦屋さんが無ければ危うく体力を消耗して餓死するところでした。。😅
こんな風に、私は過去に何度も死にかけてはいますが、摩訶不思議と今でも生かされています。
やはり、何かしらの使命が、私にあるからなのでしょう。
また、私がヴァイオリンを趣味としているのも、以下の上記に紹介させていただいた本と同じ著者の香川宜子氏による『アヴェ・マリアのヴァイオリン』という小説と、何らかのシンクロ的な関係があるからなのかも知れませんね。🎻
香川宜子著『アヴェ・マリアのヴァイオリン』(角川文庫)
追記:Wikipedia のヤマトタケルの項目を詳らかに読んでいたら、長野県の軽井沢で濃霧に苦しんでいた時に、何と「八咫烏(ヤタガラス)」さんによって助けられていたことを、初めて知りました!🐦⬛
以下、「信仰」という小項目からの引用文です。
「・熊野皇大神社(長野県北佐久郡軽井沢町、長野・群馬両県境の神社)、東征の帰路、濃霧で苦しむヤマトタケルを八咫烏が助けたことに感謝して熊野神を勧請」
今世の私もまた、インターネットという情報の洪水のなかで、最近は現代の八咫烏さんから YouTube 動画という形で真実の情報を教えられて、助けられているように感じます。🌊
やはり、歴史は繰り返すんですね。
ここまでお読み頂き、誠にありがとうございます!🙏
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