武庫川女子大の件(追記あり)

私は、過去に兵庫県三木市にある関西国際大学というちょうど「共学化」したばかりの大学に、1期生として入学しました。🏫

それなので、最近の武庫川女子大の「共学化」についてのニュースには割と注目していまして、私は自身の経験から大学だけでなく中学校から高校までも含めて「男女別学」にした方が善いのではないか、という意見を以前から持っています。

女子大教授「女子大を共学化すると男子はそれほど入らず女子からもそっぽを向かれることもあり得るとは思います」共学化の難しさについてさまざまな意見(togetter)

上記リンク先の議論を読むと、そう言えば「男子大学」が存在しないのはなぜ・・・? という疑問文まであって、とても興味深かったです。

中学や高校には、「男子校」と「女子校」かあるのに、大学には「女子大」しか無いというのは、確かにおかしいですね。

また、「男子校」と「女子校」に分かれているのは、決まって授業料の高い私立の学校です。

小学校から大学まで、授業料の安い公立学校はすべて「共学」ですよね。

そもそも、私は自身の能力に見合った芸大または美大あるいはアニメーションの専門学校のほうに進学したかったのですが、、、当時の高校の担任の先生からアート系の学校に行くことを猛反対されて、仕方無しに一般の大学の方に進学した訳です。いわゆる「不本意入学」という現象ですね。

このブログは、私の母校の高校や大学の関係者も読まれていると考えられますので、あらぬ誤解のないように、ぜひ最後までお読みください。

さて、スピリチュアルな視点からこのことを深掘りして俯瞰して観ますと、これは過去世における私自身が作ってしまった ” 徳の借金 ” すなわち「負のカルマ(業)」というものがありますから、そこはじつは完全に自由には選べないのだと、今の私は考えています。

私の場合は、過去世の1人がおそらくは宮本武蔵であり、かの有名な「巌流島の決闘」で佐々木小次郎を殺めてしまったから、たぶん今世の大学時代にその剣豪の生まれ変わりの魂である経済学者の方に直面して、お互いにもう2度と争いごとをしないように、イギリスが発祥地である倫理学をルーツとする「経済学」という学問で学び直す、という全知全能の神によって作られた霊界からの ” 粋な計らい ” による、よく出来たシナリオだったのだろうと、私には感じられます。

その証拠として、当時の銀行さんや両親の親戚が教育ローンや学費を割とスムーズに貸してくれましたし、そしてその資金によって、当時に私の父親がギャンブルによって抱えていた数百万円の莫大な借金を、立て替えておおかた返済することができました。

これは、もしかしたら私の父親の過去世の1人が、宮本武蔵の父親であった「新免無二」という人で、播州の姫路城にいた時に佐々木小次郎からその宮本武蔵の父親が殺められているから、その父の前世の時の苦しみの埋め合わせが、今世の私の大学時代におそらくはもたらされたんでしょうね。

「武蔵との決闘の原因は、小次郎が以前に播磨国で新免無二斎と争い、無二斎を討って出奔、その子である新免(宮本)武蔵と闘ったと伝えられる」(ジャパンナレッジの「佐々木小次郎」の項目より引用)

「天網恢恢(てんもうかいかい)疎にして漏らさず」とは、まさにこのことですね!

今世だけの視点で見ると、この世は「不条理」だらけのように感じますが、しかしながら ” あの世 ” または過去世ないし未来世の「メタ視点」から鳥の目線で観ると、何だか ” すべては必然 ” のように思われてきます。🐦

それに、私が大学に進学する前には、母親が当時から熱心なインドのサイババさんの信者だったので、そのことに私も影響されてサティア・サイババさんの建てたインドの「サイ大学」に入学して通えたらいいなぁ〜、という現実的に考えたらとても叶いもしないだろう、淡い夢を持っていました。

そしたら、1997年の私が高校3年生だった時に、奇しくも「関西国際大学」という新設の大学ができることをパンフレットで知りまして、「あぁ、ちょうど「関西国 ” サイ大学 “」だ(笑)」というおそらくは神様による「アナグラム(Anagram・・・言葉遊び)」のシンクロニシティを、私は仄かに感じ取りました。

だから、私は過去に自分が選択したことについてはすべて受け入れるしかなく、すべては必要で必然の出来事なのだから、感謝して受け入れるより他ないですよね。。

サイババの御言葉で、今でもよく覚えている金言の1つに「人間に真の自由はない」というものがあります。

私が何か、自分の願い事を叶えるにしても、それが他の人にとってはそれは叶って欲しくないという、いわゆる他者の願いと「バッティング」することもあるわけでして、そこは倫理的に「全体善」を考えて調整しなければならないところだなぁ〜、と今では思っています。

つまり、他者を思いやる、慮るということですね。

ただ、他者に配慮し過ぎて完全に自分の夢を潰してしまうのも、それはそれでまた違うとも思います。

ここで、「競争よりも協力」という考え方が、出てくる訳ですね!🤝

そして、それを実践するための前段階として、私は暇さえあれば世界文学や日本文学といった「文学小説」を、リスキリングとして少しずつ読んでいます。📙

具体的には、大学時代の推薦図書であった、世界最高峰とも言われているドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を、現在は読んでいます。

近年の日本では、全国的に「ビブリオバトル」が流行っていますよね。社会的に善い傾向だと、青少年時代にほとんど文学を読んで来なかった私は思います。

武庫川女子大の「共学化」の話から、いつの間にやら脱線してしまいましたが、、、😅

とにかく、今は有り難くも「障がい者アーティスト」という ” 天職 ” に就けていますので、そのことについて神に深く感謝し、そしてあまり自分には関わりのない余所事には深く立ち入らずに、私心のないチームワークによって、これかもアーティストとして義務を果たし社会に貢献し続けて参ります!

追記:Wikipedia の「ビブリオバトル」の項目を読んでいたら、「全国高等学校ビブリオバトル」の小項目の中で、2025年1月26日のよみうり大手町ホールの決勝大会で使用された本が、伊坂幸太郎『アヒルと鴨のコインロッカー』という題名でした。

それを見るなり、ふと私は「あれ? アヒルと鴨といえば、先日に仕事で頼まれたラフスケッチ画で描いたような・・・」と思い出しました。

このラフ画のことは、前々回の記事にも書いていますが、もしこれが神様によって仕組まれたシンクロニシティだとしたら、「凄すぎる・・・!」と感嘆せざるを得ません。。

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!

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