「老いては子に従え」の意味

日本の昔からのことわざに、「老いては子に従え」というものがあります。

これは、日本人の祖先から来た、深い知恵が詰まったことわざのように感じます。

私が大学時代にお世話になった、ゼミ担当の経済学者である教授から「分数」の基本を直接に教わったことが最も印象深くて、それは「分子と分母では、分子の方が重要や!」と仰っていたことです。

経済学の博士号を持っている先生であれば、数学のマスターでもあることが容易に想像できるので、その言葉には実に重みがあります。


さて、ここで時代を6世紀前半にタイムスリップしてみようと思います。

恐らく私の母親の、数多くある過去世の中では、「尾張目子媛」が挙げられます。

第26代・継体天皇の複数のお妃さまのうち、代表的な「手白香皇女」や「広媛(別名:黒媛)」といった皇后方の1人です。👸

古史古伝の『真清探當證(ますみたんとうしょう)』によれば、岐阜県の本巣市の山奥にある「菊花石」の産出地でなおかつ日本三大桜で有名な「淡墨桜」のある根尾谷というところで、継体天皇と尾張目子媛との間に「安閑天皇(勾大兄)」と「宣化天皇」が出生しました。

ここで、私が最近になって知った新しい情報なのですが、「継体天皇」と「手白香皇女」との間の子のうちの1人に「欽明天皇」がいますが、その「欽明」には「大郎子(おおのいらつこ)」という同母兄がいたことが判りました!

鹿児島で新たに六十八個の「九州年号」発見  継体天皇死亡のなぞなど貴重(うっちゃん先生の古代史はおもろいで)

そして、当時の権力争いにおいて「尾張目子媛」が、その息子達である「安閑」と「宣化」を天皇に擁立させるために、「安閑」と「宣化」から見たら異母兄弟の「欽明」の兄である「大郎子」を暗殺したらしいのです。

つまり、本来であれば「欽明天皇」のお兄さんが天皇に即位するはずだったのですが、私の母親の過去世の「尾張目子媛」がそれを妨害してしまった訳ですね。

ゲームの「ドラゴンクエスト5」に喩えたら、主人公の母親の魔界にいるマーサにフラクタル的に当てはまりますが、なぜ魔界にいるかがこれでよく分かります。。

とにかく、その報復として「欽明天皇」自身かあるいは「欽明」を支持する側は少なくとも「安閑天皇」を、西暦535年頃に暗殺したことが推測されます。

「安閑天皇」が、そうした何らかの形で崩御した際の、「春日山田皇女(山田赤見皇女)」が旦那の「安閑」に送った挽歌(レクイエム)を、以下に紹介します。🐟


隠国
こもりく
の 泊瀬
はつせ
の川ゆ 流れ来る 竹の いくみ
だけ
 吉竹
よだけ
 本辺
もとへ
をば 琴に作り 末辺をば 笛に作り 吹き
す 御諸
みもろ
が上に 登り立ち 我が見ませば つのさはふ 磐余
いはれ
の池の 水下
みなした
ふ 魚も上に出て嘆く やすみしし 我が大君の 
ばせる 細紋
ささら
の御帯の 結び垂れ 
たれ
やし人も 上に出て嘆く


ちなみに、安閑天皇と春日山田皇女との間に子が無かったことについての、これまで私が知らなかった新説で大変興味深い記事をネット上で発見しましたので、それは「地図を楽しむ・古代史の謎」という excite のブロガーさんが書かれた「継体天皇御一家の悲劇は起きたのか」というタイトルの記事なのですが、内容が明らかに「18禁」なのでそのブログへの直接リンクはここには貼りませんが、以下にその一部を引用いたします。

より深く知りたい好奇心旺盛な大人の方は、自ら検索して調べてみてください。

(それにしても、和歌に二重の意味を含ませるとは、春日山田皇女は相当賢い賢者の女性だったのでしょうね・・・!)


「二人になぜこんな悲しい結果が訪れたのか、そこが問題です。
勾大兄皇子=安閑天皇には、子どもがいません。ほかの女性との間にも子どもをもうけることができなかったのでした。
それはなぜか。わたしにも不思議でした。
その事に、一つの答えを示唆してくれた本を紹介します。わたしには考えても見ないことがかかれていましたので。

『不実考』続外道まんだら (徳永裕二 著) 不知火書房(出版社)
「継体天皇が皇統を継ぐに相応しい人物であることを武威や血統によってではなく信仰上において他の皇族・豪族等に納得させるためには、かっての古代首長の表徴として抜箭信仰を保持していることを示すことである。つまり継体自らは抜箭することはなかったにせよ、長子の安閑には抜箭を施したとみられる。あたかも、『旧約聖書』創世記で父・アブラハムが庶兄・イシュマエルと嫡男・イサクに割礼(ベリトミラフ)を施したように。なお、割礼は抜箭の擬きである。

信仰とは、言い難く恐ろしいものではあります。継体天皇が自分の長子を犠牲にして、権力を手に入れたという展開は、恐ろしくも実感がありました。


なるほど、それで赤塚不二夫の漫画作品『天才バカボン』の主人公が、途中から「バカボン」ではなく「バカボンのパパ」に入れ替わった訳ですね!

父親の「継体」からは去勢され、異母兄弟の「欽明」からは暗殺されるなんて、何だか「安閑天皇」が可哀想に思えてきますね・・・でももし「安閑」が本当に私の過去世の1人なのであれば、このように思うことは「自己憐憫」となってよくないので、「安閑」に同情することはここでは慎みたいと思います。

(「ドラクエ 5 」の物語の中で、青年時代の主人公がタイムスリップして幼年時代の主人公に「坊や どんなにツライことがあっても 負けちゃダメだよ」と励ました言葉を思い出しました!)

それに、「安閑」の父親の「継体天皇」も、長子を上記のような形で犠牲にしたのは信仰ゆえのことであって、さほど悪気や罪悪感は無かったのかもしれませんね。

加えてもしかしたら、私は今世においても生まれる前の霊界において結婚はせずに仮に結婚をしたとしても子供は作らず、「ドラクエ5」でヒョウのキラーパンサーに喩えられる相棒の寅年の弟とシェアハウスに住んで一生を過ごす、という設定で転生してきているのかもしれません。🐆

ただし、アートへの情熱はやはり「名は体を表す」の通り、過去世から並々ならぬものがあります。当時から真珠などの宝石や金など芸術品が好きで蒐集していた、いわゆる現代で言うところの ” パール男子 ” でしたからね。自分で言うのも可笑しいのですが。。🤣

何はともあれ、こうして確からしい古代の日本史の真実を知ると、それが今世の私の人生においても同じようなパターンが、フラクタル的に繰り返されていることに気付きます(!)

まさに、宇宙はシンクロニシティに満ちていて、「人生はフラクタル」ですね!🪆


追伸:ロシアのエルミタージュ美術館に常設で飾られている、以下の西洋絵画史の巨匠・レンブラントの『放蕩息子の帰還』(1668年)という世界屈指の名画がありますが、この絵はもしかしたら過去世から ” 家庭内不和 ” の状態であった我が家のことを暗示しているのでは、と直観しました。

レンブラント『放蕩息子の帰還』
レンブラント『放蕩息子の帰還』(1668年)

画面の左上隅の、ほとんど闇の中に消え入りそうで姿が見えづらい女性は、私の母親の過去世の「尾張目子媛」や「日野富子」を示唆しているように感じます。

また、以下のフェルメールの『真珠の耳飾りの少女』(1666年)も、おそらく自分が欲しいがゆえに真珠を探し求めた「安閑天皇」のことを、シンクロニシティで暗示しているのかも知れません。

フェルメール『真珠の耳飾りの少女』
フェルメール『真珠の耳飾りの少女』(1666年)

「安閑天皇」の諱(いみな)すなわち本名である「勾(まがり)」は、人造バターの「マーガリン」と発音がよく似ていまして、しかもその「マーガリン」の語源は何とギリシャ語でマーガライト、すなわち「真珠」なのだそうです!

加えて、同じ巨匠のレンブラントとフェルメールという異なる画家が描いた、2点の名画は、奇しくも制作年代が「1666年」と「1668年」でほぼ一致しています!

これはおそらく、2点の全く関係ないと思われる絵画作品に意外な関連性があることを、数字のシンクロニシティとして暗示されているのかもしれません。

何はともあれ、今世ではこのような我が家の積年の魂のカルマの宿題が、見事に清算されると善いですね!😃

おしまいに、「ドラクエ5」の以下のタイムスリップについての解説動画を皆さんにシェア致します!

(動画時間:14分53秒)


私がこの動画を紹介するのも、何だか偶然では無いような気がしますね・・・!🟡✨

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